当店のスタッフ紹介ページです。
広島の子育て中の新米パパFP、子育て中のお姉さんママFPなどがご対応いたします。

横山 広(よこやま こう)
| 出身地 | 広島県広島市 |
|---|---|
| 生年月日 | 1994年11月 |
| 出身校 | 広島市立翠町小学校 広島市立翠町中学校 広島県立広島国泰寺高等学校 広島修道大学 |
| 家族構成 | 妻・息子一人 |
| 趣味 | フットサル、釣り(エギング、ショアジギング) |
自己紹介
私は広島に生まれ、広島で育ってきました。そのため、地元広島で成長していきたいという想いをもって過ごしてきました。
大学では経済学を学んでいたこともあり、将来は金融関係の仕事をしたい、そして人の役に立つ仕事をしたいという気持ちが強かったことを覚えています。
結果的に、私の社会人としての第一歩は共済団体に就職することから始まり、
現在はファイナンシャルプランナー(以下FP)事務所兼保険代理店のサンドアーズにて活動しています。
今思うと、金融関係の仕事の中でも保険業に興味を持ったきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災があったからだと思います。
当時高校生だった私は、旅行で大阪にいました。実際に私が感じた揺れは、身の危険を感じる程ではなかったように思います。ですが、ホテルに戻ってテレビをつけた時の衝撃は今でも忘れられません。
現実にこんなことが起きてしまうのか、広島の状況はどうだろう、身の回りの人に被害はないか…と様々なことを考えました。ですが、すぐに何ができるでもなく大阪で時間を過ごし、翌日に広島に戻ることになります。
広島では幸いなことに大きな被害はなかったと聞きました。しかし、中学生の時に所属していたサッカーチームの先輩が、関東で仕事中に被害に遭い、亡くなったことを知りました。
話を聞いたときには、全く信じられませんでしたし、信じたくないという感情があったと思います。葬儀で先輩に再会したときは様々な想いとともに、何もできない無力さを強く感じました。その無力さがあったからこそ、何かあったときに誰かの役に立てる人間でありたいという自分の軸ができたのだと思います。
共済団体の職員として勤務していた際には、西日本豪雨災害がありました。
皆さんもご存じの通り、広島でも大きな被害があり、当時火災共済を担当していた私はすぐに被害現場に向かいました。
東日本大震災のときには無力さを感じた私でしたが、現場でお客様の声を聞くこと、顔を見て話しをすること、そして補償という経済面での手助けができ、微力ながら人の役に立てたのではないかと思います。
また同時に、火災保険や自動車保険のような損害保険だけでなく、生命保険も含めてトータル的に保険を学べば、どんなときでもお客様の力になれるのではないかと思いました。
現在は、ご縁がありサンドアーズで日々勉強をしています。
前職と比べてご案内できる商品の数は多くなり、お客様一人ひとりに合ったご提案ができるようになりました。覚えることは多いですが、その分お客様にとって何が本当に必要なのかを考えられるので大きなやりがいを感じています。
私の目標は、どんな些細なことでも、お客様から「ひとまず横山に聞いてみよう」と思ってもらえるようなFPになることです。
そのため、安心できる日々の備えを一緒に考えていけたらと思いますし、お役に立てる情報をお届けしていきたいと思っています。不安や疑問があれば、一緒になって解消していきましょう。
片元 彰(かたもと あきら)
| 出身地 | 広島県広島市 |
|---|---|
| 生年月日 | 1982年9月 |
| 出身校 | 広島市立上安小学校 広島市立高取北中学校 広島県立広島商業高校 神奈川大学 |
| 家族構成 | 妻・息子二人 |
| 趣味 | ゴルフ、美味しいスイーツを探すこと |
自己紹介
小学生の頃から野球に明け暮れ、高校は広島商業高校に進学し硬式野球部に入部しました。 毎日の厳しい練習や厳格な上下関係に耐え、選手として甲子園出場、全国制覇を目指していましたが、2年生の春に故障してしまい、最終学年時はマネージャーとしてチームを支える日々でした。
当時の野球部でマネージャーという立場は、まさにマネージメントをする人であり、時に監督の代わりとなって選手に指示を出す、また選手からの意見を吸い上げ、監督に進言するという中間管理職的な位置付けでした。 この経験は今でも人生の財産となっています。
高校卒業後は指定校推薦で神奈川大学に入学。 軟式野球部に入部し、2年連続の全国制覇、また3年生の時にはキャプテンも経験させてもらい、高校時代とは違う、楽しい野球を経験させてもらいました。 ですが同時に、仕送り無しの県外一人暮らし学生だったため、一日の食費100円という極貧生活も経験しながら、幾つものバイトを掛け持ちしていました。
教職課程を履修し、教員になることを目標に掲げていましたが、当時は就職氷河期と呼ばれる時代。教員採用試験も当然ながら倍率が高く、狭き門であったため、就職活動も並行して行い、なんとか大手製薬会社への内定を獲得、卒業後に入社しました。 入社後は半年間の研修期間を経て、岡山県に営業(MR)として配属されました。
その後現在の妻と出会い結婚。1年後には長男、その2年後には次男も誕生し、そのタイミングで4ヶ月間の育児休業を取得しました。 当時は男性の育児休業取得率が1%という時代、様々な意見をいただきましたが、自分の手で子育てしたいという思いと、当時専業主婦として家庭を支えてくれた妻が社会復帰に向け資格取得を目指していたため、それを支えたいという考えからの決断でした。 この経験が後に生きることになるとは当時は想像していませんでした。
製薬会社の営業(MR)という仕事は当然のように激務でした。薬という商品を扱う以上、学術知識も求められるため知識の習得は必須、そんな中、営業という側面もあるため顧客との信頼関係構築のために、朝早くから夜遅くまで得意先を駆け回り、日付を跨いで仕事をするなんてこともザラにあるという毎日でした。
そんな生活を続けること10年、ついに体は悲鳴を上げ、体調を崩し、仕事が出来ない状態になってしまいます。そして仕事を休職、その後退職せざるをえませんでした。 ここで、妻と相談の結果、妻が一家の大黒柱として家計を支え、私は家庭のことを一手に担うという、決断に至ります。つまり専業主夫となったわけです。
当時のことを思い出して妻は「育休を取ってくれたことや一緒に子育てした経験があったから、あの時期を乗り越えられた。もし育児や家事などを私一人でやっていたとしたら、離婚していたかも」と言います。 我ながら当時の自分の決断を褒めたいです。
その後は体調の回復を見ながら同時進行で少しずつ社会復帰していきます。 契約社員としてWEBライティングやインタビュー記事の作成に携わりながら、自らの経験(主夫経験や男性の子育てなど)をブログやメディアで発信していました。 2018年4月、次男が小学校に上がるタイミングを機に生まれ故郷である広島にUターン。ファザーリング・ジャパン中国という父親の子育て支援をするNPO団体の代表として、全国各地でセミナーや講演などの啓蒙活動を行ってきました。
そしてこの度、弊社代表の三戸との出会いからFPという仕事と出会い、これまでの経験を活かしてFPとして社会に貢献していきたいという想いから、サンドアーズに入社しました。 まだまだ勉強の日々ですが、これまでの自身の経験から、人生は何が起こるかわからないということを嫌というほど学び、専業主夫という経験からは家族を陰ながら支える大変さを実感することができました。
将来を予測する事が難しく、不確かな世の中ではありますが、ご縁があったお客様にはとにかくお金や子育てに関する不安を解消し、日々安心して暮らして欲しいという想いでFP業務に携わって参りますので、不安なことなどあればなんなりとご相談ください。
山本 大暉(やまもと ひろき)
| 出身地 | 山口県下関市 |
|---|---|
| 生年月日 | 1993年3月2日 |
| 出身校 | 広島市立牛田小学校 広島市立牛田中学校 広島県立高陽東高等学校 広島工業大学 |
| 趣味 | フットサル、テニス、映画鑑賞 |
自己紹介
私の生まれは山口県下関市ですが、3歳の時に広島へ移り住みました。以来、広島を離れることなくこの地で育ちました。
広島工業大学を卒業後、行政工事の現場監督としてキャリアをスタートさせました。現場では、工事の専門的な知識や技術はもちろん重要でしたが、それ以上に多くの人々と関わり合い協力しながら一つのものを創り上げていく過程に大きなやりがいと魅力を感じるようになりました。この経験が、私のキャリアの方向性を大きく変えるきっかけとなり、「もっと直接的にお客様と関わり、その方の人生に貢献できる仕事がしたい」という想いから営業職への転職を決意いたしました。
営業としては賃貸事業から始まり、自動車販売、そして注文住宅と、多様な業界でお客様の人生における大きな決断に立ち会わせていただきました。それぞれの業界で専門知識を深め、多くのお客様と接する中で、一つの共通した課題に気づきました。それは、購入される前に本当に買っていいのか?と、ほとんどのお客様が商品やサービスを購入した後の生活に対して、漠然とした不安を抱えていらっしゃるという事実です。
「この選択は本当に自分にとってベストなのだろうか」「もっと良い方法があるのではないか」そうしたお客様の不安に対して、当時の私は「売る側」の立場からでしかアドバイスをすることができず、そのご提案が本当にお客様のためになっているのか、自社の都合を優先してしまってはいないかと、次第に疑問を感じるようになりました。
そんな葛藤の中で出会ったのが、サンドアーズです。お客様一人ひとりの不安と真摯に向き合い、具体的な解決策を共に考え、心から安心して最適な選択をするためのお手伝いができる。これこそが、私が本当にやりたかったことだと確信し、サンドアーズへ入社いたしました。
私の目標は、「お客様にとって、どんな些細なことでも相談しやすい存在になること」です。これまで様々な業界で培ってきた知識や経験はもちろん、これからサンドアーズの一員として学び、経験する全てを、お客様の「安心」という価値に変えていくことをお約束します。
どうぞ、お気軽にお声がけください。皆様にお会いできる日を心より楽しみにしております。
自己紹介
私は島根県益田市という山と海に囲まれた田舎町で生まれ、就職のため高校卒業と同時に広島に移住しました。
現在は広島の方と結婚し、この度子どもを授かったので、これから出産・育児に向けて子育てについての勉強の毎日です。
島根県の山の中すくすくと育った私ですが、実は、父を3歳の時にがんで亡くし、母が女手一つで育ててくれました。
生活は豊かとはい言えなかったかもしれませんが、それでも母の愛情や親戚の方々の暖かい手助けを受けながら兄と共に健やかに成長していきました。
母はとても苦労したと思いますがそれでも「毎日笑うこと、おいしいご飯を食べること」は欠かさないように、と愛情をそそぎながら育ててくれました。
しかしやはり、大黒柱がいないというのは経済的に難しいもので、中学生の頃、将来は薬剤師になりたいという夢を持っていましたが、経済的な理由もあり地元唯一の進学校に進む夢は諦めざるを得ませんでした。
であれば、将来の就職に役立てたいと商業高校に入学。
自分の性格に合っていたのか商業の勉強はとても楽しく、卒業後は地元企業に事務職として就職できればなぁと思っていた高校2年生の秋、リーマンショックによる世界的不況は島根県の片田舎にも影響を及ぼしました。
高校3年生の春、担任の先生から言われた言葉は「島根県全域、高卒の就職募集が一切ない」との言葉でした。
それまで就職しか考えていなかったので、家の事情もあるし、これからどうしたらいいかとすごく悩んだことを思い出します。
そんな時、当時の担任の先生から「広島県の地方銀行の人事に卒業生がいる、その銀行を受けてみたらどうだろうか?」と勧められ、広島のもみじ銀行に無事就職、島根県を離れ広島に出ることとなりました。
もみじ銀行では、窓口で住宅ローンの相談、相続の手続きなど様々な業務をさせてもらいましたが、
入行3年目からは窓口で保険販売の業務についたことが今FPとして働く大きなきっかけとなりました。
銀行の窓口には様々な人が来ます。
孫のお年玉のためにと来られるご年配の方、子どもさんが生まれたからと新しい口座を作られる方、引越ししたから住所を変更したいなど。そんな理由で訪問された人たちにいろいろな保険をご案内するのですが、お客様とお話をすると、子どもさんの将来のために準備してあげたいんだという思いや、お父様が亡くなられて残してくれた大切なお金をきちんと残しておきたいんだという思い等、様々な思いがあり、その思いに答えられるような案内をすることにとてもやりがいを感じていました。
しかし、私が銀行にいた4年間は、世間は不景気の真っただ中。
お客様の意向に沿いたいという私の思いと、企業収益として販売すべき保険商品や金融商品が合致することはまれで、お客様に無理を強いてしまうことも多々ありました。
その時「ふと、お客様の気持ちにもっともっと応えたい」との思いが強くなり、銀行を退職し国内生命保険会社に転職することを選びました。
そこで保険を基礎から学ばせてもらいましたが、一つの保険会社の商品だけでは、お客様の想いに応えることはなかなか難しいと感じ、その後FPとして独立。
現在はFP事務所兼保険代理店のサンドアーズにて活動し、2019年で金融業界10年目になりました。
日々お会いするお客様の、家族を守るためにはどんなリスクに備え、どんな準備したらいいのか?という疑問には、私の体験をふまえながらお話しし、安心できる日々をお届けできるようお手伝いさせてもらっています。
これからは、私自身も新人子育てママになるので、子どもの成長を見守りながらも、悩みを抱えてるいる子育て世代のママ達に「私も同じ思いだよ、でも大丈夫だよ」と心から寄り添えるFPとして頑張っていこうと思っています。
多月 彩加(たつき あやか)
| 出身地 | 福岡県 |
|---|---|
| 生年月日 | 1996年8月 |
| 出身校 | 米子市立福生東小学校 米子市立福生中学校 鳥取県立境高等学校 松江総合医療専門学校 |
| 家族構成 | 夫・子二人 |
| 趣味 | 釣り、料理教室 |
自己紹介
医療の専門学校を卒業後、眼科で視能訓練士としてキャリアをスタートしました。患者様に検査や治療の必要性をお伝えすることは簡単ではありませんでしたが、その先にある「病状が軽快し、笑顔を取り戻された瞬間」に立ち会えたことは、今も心に残る大切な経験です。人の役に立てることの楽しさとやりがいを、ここで初めて実感しました。
その後は保険の分野に携わり、人を支える新しい形の仕事に出会いました。自分自身の保険もよく分からない状態からのスタートでしたが、学ぶほどに奥深く、家族や大切な人を守るために知識を身につけることの大切さを実感しました。お金を「貯める・増やす・守る」ことを正しく学び、正しく伝えることの意義を強く感じたのもこの時期です。あるお客様からは「あなたは保険屋さんというより、FPさんのようだね」と言っていただいたことが、私の進むべき方向をよりはっきりと示してくれました。
そして出会ったのがサンドアーズです。ここでは、お客様の思いや希望に寄り添い、一緒に納得できる選択を考えることができます。「人のためになる仕事がしたい」という私の思いを、心から形にできる場所だと感じています。
これからも、「困ったときにふと思い出してもらえるFP」であり続けることを目標に、お客様の安心や笑顔をサポートしていきます。









